【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 理化学研究所3代目所長 大河内正敏(理化学研究所の研究成果を実用化する企業グループである理研コンツェルンを築き上げるが戦犯として公職追放された、偉大な学者 兼 実業家 兼 政治家)
2025.09.19

AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。理化学研究所(理研)は、物理学や化学、生物学などの基礎研究から応用研究までを行う機関で、1917年にアジア初の基礎科学総合研究所として創設されました。総裁を軍人の伏見宮貞愛親王が、初代所長には数学者の菊地大麓が就任し、日本のみならずアジア全体での科学分野の発展に貢献しました。1927年に理化学興業株式会社(のちのリケン)ができると、グループとしていくつもの会社が発足され、理研コンツェルンは新興財閥の一角として急成長していきました。理化学研究所の事業拡大に大きく貢献したのが、3代目所長の大河内正敏です。今回はそんな大河内正敏の生涯を振り返っていきましょう。
大河内正敏の前半生(理化学研究所3代目所長に就任する)
大河内正敏は1878年、旧上総大多喜藩主で、子爵大河内正質の長男として東京浜松町に生まれました。のち旧三河吉田藩の子爵大河内家の養子となります。学習院初等科に通い、のちの大正天皇と同級生でした。学習院の中等科、第一高等中学校を経て、東京帝国大学工科大学造兵学科に入学。大学時代は特待生であり、1903年、東京帝大を首席で卒業しました。卒業後はそのまま帝大講師となり、数年の勤務の後私費でヨーロッパに留学します。1911年、帰国した大河内は東京帝大教授に就任しました。この頃、寺田寅彦と共同で飛行弾丸の流体的な実験を行いました。
1914年になると、大河内は工学博士となって研究を始めました。翌年からは政界にも進出し。貴族院子爵議員補欠選挙で初当選、1918年には原内閣の海軍省政務次官を務めました。
1913年、高峰譲吉、櫻井錠二らが「国民科学研究所」構想を唱え、渋沢栄一らがその構想について議論を行いました。1915年の第36回帝国議会にて、衆議院・貴族院の本会議により「理化学研究所の創立」が決議されました。
理化学研究所の設立には皇室や政府からの補助金や民間からの寄付が集まり、1917年に無事設立されることになりました。設立者の総代には渋沢栄一を立て、伏見宮貞愛親王が総裁、菊池大麓が所長に就任しました。
1921年、当時の東大総長である山川健次郎の推薦により、大河内は理化学研究所の所長に登用されました。大河内は主任研究員が自由に使える研究室制度を導入し、研究成果の事業化を推し進めました。こうした改革は組織の成長につながり、理研は国際的な研究機関として拡大していきました。1925年、大河内は東大教授をやめて理研の所長職に専念することを決意しました。
大河内正敏の後半生(理化学研究所の研究成果を実用化する企業グループである理研コンツェルンを築き上げるが戦犯として公職追放される)
1927年、ピストンリングに関する研究成果の事業化を目的に、理化学興業株式会社(後のリケン)を設立。同社は日本で初めて実用ピストンリングの製造を開始し、その後も76におよぶ理研グループの会社を立ち上げ、理研コンツェルンを新興財閥の一角を占めるまでに成長させました。
大河内のこの功績は、日本国内でも非常に注目されました。1930年、勲四等に叙され、瑞宝章を受賞しますが、息子の信威が共産党のシンパとして逮捕される事件が起きます。大河内はこのことを理由に貴族院議員を辞職。1934年からは東京物理学校の第4代校長に就任し、1936年からは東京物理学校理事長を兼務しますが1年ほどで退職してしまいます。1938年に行われた貴族院子爵補欠議員選挙に出馬すると見事当選を果たし、1943年内閣顧問に就任しました。
太平洋戦争が長期化し、日本はかなりの苦戦を強いられました。1945年、玉音放送によって日本の降伏が全国民に伝えられ、終戦となりました。戦後日本はGHQに統治され、軍に関わったものはしかるべき処罰を受けることになります。大河内は軍需産業、内閣顧問、原爆製造計画などに関与したとされ、戦争犯罪容疑で巣鴨拘置所に収監されました。処刑は免れ、1946年に釈放されるものの、それまでに築いた役職はすべて捨てなくてはなりませんでした。理化学研究所所長を辞任した後は公職追放となりましたが、1951年に公職追放は解かれました。
1952年、大河内は脳梗塞のために亡くなりました。
今回は、リケンの前身である理化学研究所の躍進に貢献した大河内正敏の生涯を振り返りました。科学者としても政治家としても非常に大きな役割を果たした彼の功績は、国をあげて讃えられました。今後の科学の発展にも期待していきたいですね。


