米国法の大きな特徴は、連邦制、先例主義、陪審制
2010.09.25
SKIP
2年前の秋に初めて米国法の全体像について授業を受けたときに、インパクトを受けた内容をまとめたメモです。
米国法の大きな特徴は、連邦制、先例主義、陪審制です。
色々と目新しい発見がありました。
連邦制
全ての権力は原則として州政府が握っていて、連邦政府は憲法によって規定された権力のみを行使できる。日本では、政府が全ての権力を握っていて必要に応じて地方政府に権力を分配しているので、国の構成が全く異なる。
憲法には、連邦議会の権限、大統領の権限、裁判所の権限が規定されている。
議会の権限には制限があって①州間商業に関する規則を定めること、②科学技術の発展のために発明者に有限期間の独占権を付与すること等に限定されている。
連邦議会が制定した「学校への銃持ち込み規制法案」は、「州間商業」には無関係であるとして違憲とされた。
一方、「銃取引の規制」は、連邦議会の権限であると考えられている。銃取引は州をまたがって行われるから。
「米国では発明者の権利は憲法で保障されている」との日本でのうわさは、誤り。
憲法には、制定時には、人権に関する規定は一切なし(人権に関する規定は、後の憲法改正で盛り込まれた)。
「科学技術の発展のために発明者に有限期間の独占権を付与すること」は、連邦議会の権限を定めたものであって発明者の権利を定めたものではない。連邦議会が特許法を廃止することも可能である。
先例主義
上級審の判例、自己の過去の判例は、「法」である。
CAFCは、最高裁の判例とCAFCの過去の判例に拘束される。CAFCは、CAFCの過去の判例を変更することは一応は可能であるがそれには非常に強い説得力を有する理由が必要であり容易ではない。
同じ裁判所に意見が異なる二人の判事がいた場合、どちらの判事が先にある争点を判断するかによってその裁判所での「法」が定まる。
日本の審査基準中の裁判例の引用は「参考」であるが、MPEP中の裁判例の引用は「法」の引用なので位置づけが全く異なる→USPTOはCAFCの判断に拘束される。
先例の引用が極めて重視される。引用の有無で論理の説得力がまったく異なる。現地代理人や審査官がめったやたらに判決を引用する理由。
陪審制
陪審員は一般に12名。選挙人名簿や運転免許取得者のリストからランダムに選ばれる。
陪審員の報酬は一日$15程度。。。食っていけない。
陪審員は証人尋問等が終わった後、陪審員のみで密室にこもって議論を行う。この議論の内容は裁判官にも秘密である。
全員一致か多数決かは、州によって、民事か刑事かによって異なる。一般に刑事では全員一致が要求される多い。結論がでなかった場合は公判のやり直しになる。
陪審員は評決において、ある事実を認定した理由や依拠した証拠について述べる必要がない。「・・・という事実があった」と言えばよい。
裁判官は、判決において「陪審員が・・・という事実を認定した」と書けばよい。その事実が認定された根拠は必要ない。
陪審員の判断は極めて重視される。上級審は、下級審の法律判断は簡単に覆すが、陪審員の事実認定を覆すのは稀である(ある事実に到る証拠が明らかに欠如している場合などは覆る”clear and convincing error”)