【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 乳酸を使ってアルコールの発酵を促進する速醸酛(そくじょうもと)の発明家 江田鎌治郎(「酒聖」「酒造界の大恩人」と呼ばれた、日本酒製造のキーマン)
2025.10.22

AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。日本酒の製造方法にも、先人たちが切り開いてきた歴史があります。速醸酛(そくじょうもと)は、乳酸を使ってアルコールの発酵を促進する製造法です。江戸時代に生きた岸五郎という人物が、水や酵母を培養する実験を行い、速醸酛の可能性を見出しました。そしてその研究を受け継ぎ、製造方法として確立させたのが、江田鎌治郎です。彼は「酒聖」「酒造界の大恩人」と呼ばれ、日本酒製造のキーマンとして知られています。今回はそんな江田鎌治郎の生涯を振り返っていきましょう。
江田鎌治郎の前半生(小学校の教師をしていたが、東京科学大学に進学して酒の醸造を研究し、大蔵官僚になって日本酒の研究を行う)
江田鎌治郎は1872年(明治5年)、現在の新潟県上越市清里区馬屋にあたる中頸城郡馬屋村で、風間家の次男として生まれました。糸魚川町長の娘と結婚して江田家の一員となった鎌治郎は、出身地を上越ではなく糸魚川と公言し、その後も糸魚川で暮らしました。
新潟師範学校を卒業した鎌治郎は、糸魚川高等小学校、新潟県師範学校附属小学校で教諭を務め、4年間を過ごしました。その後は東京へ行き、東京高等工業学校(現在の東京科学大学)に進学して勉学に励みました。卒業後も酒の醸造を専攻し、1年ほど在学して研究を続けました。
1903年、鎌治郎は東京税務監督局に就職します。当時の日本は列強入りを目指すため、国力強化への機運が高まった時期でした。日清戦争で勝利し、さらなる飛躍を求めて日露戦争に臨もうとしていたこの頃、国内における酒税は全体の約35%を占めるほどの税収をあげていました。このため、日本酒の生産に関する研究は大蔵省の管理下に置かれ、国策として推し進められていたのです。酒の醸造と税金は深く結びついており、鎌治郎は優秀な人材として、官僚への道を切り開きました。
鎌治郎が大蔵省入りを果たした翌年、酒の研究を本格的に行う醸造試験所が設立されました。この試験所では、日本酒の品質改良やより効率的な生産体制を構築するための研究が行われていました。1905年、鎌次郎はこの試験所に着任し、日本酒の醸造に関する研究に携わりました。
江田鎌治郎の後半生(日本酒の腐造を防ぐために、乳酸菌を添加して酸性の環境を作る「速醸酛(そくじょうもと)」を発明するが、公益のために特許を取らなかった)
日本酒の生産は税収に関わる一大事でしたが、生産においては大きな問題がありました。それは雑菌が繁殖し、腐造が数多く発生してしまうことでした。販売できる品質を保ったまま醸造できる酒は少なく、試験所としてはこの問題の解決が急務だったのです。
鎌治郎は、腐造を防ぐためにはまず雑菌の繁殖を抑える必要があると考えました。そこで目をつけたのが、乳酸を添加することで酸性の環境を作り、酵母の発生を促進させる「速醸酛(そくじょうもと)」という方法です。江戸時代の岸五郎という人物が見つけた方法ですが、それまで速醸酛を実用的な醸造方法として確立できた者はいませんでした。1909年〜1910年の間に、鎌治郎は速醸酛を完成させ、確立しました。
速醸酛を実践すると、腐造によって廃棄になる酒の数は激減し、さらに完成までの日数も短縮できました。すぐに鎌治郎は全国の蔵元を周り、速醸酛の製法を教えて回りました。製造技術が向上しただけでなく、現場の生産コストが削減できたことも大きな功績の1つです。それまでの酒造りは職人の勘と経験に頼っていた部分が大きく、科学的な見地から一定の水準を保てるようになったことは、後進の育成という部分でも重要な役割を果たしました。また、速醸酛は温暖な気候となる地域でも活用できる方法であり、場所を問わずに日本酒を生産できるようにもなりました。速醸酛の発明は「醸造界の大発明」と呼ばれ、応用微生物学の世界的権威である坂口謹一郎は彼を「酒造界の神様」とまで評しました。
速醸酛は日本酒製造のスタンダードとなり、現在では9割以上の日本酒が速醸酛によって製造されています。世紀の大発明といっても過言ではない功績ですが、鎌治郎は公益性を維持するために特許を取得しませんでした。公的な技術として公開されたことは、現在の速醸酛が普及した下地となりました。
1913年、鎌治郎は醸造試験所専任となり、1923年には所長に就任しました。彼の功績は国から大きく讃えられ、1916年に勲六等瑞宝章が贈られました。6年の勤務を経て、鎌治郎は製造試験所を退官。その後はキンシ正宗や月桂冠などの製造場から招聘され、顧問を務めました。
1930年代に入ると教育の世界に戻り、大阪工業大学や大阪帝国大学工学部醸造学科で講師として教鞭を振るいました。3年の勤務のあとは再び酒造に関わり、自ら会社を立ち上げました。このときに設立された江田醸造研究所は、現在でも「江田醸造株式会社」として活躍し続けています。1955年、彼の偉大な生涯に対する栄誉として紫綬褒章が贈られました。1957年、鎌治郎は84歳でこの世を去りました。彼の死後、彼の業績を讃えて日本生物工学会によって生物工学奨励賞(江田賞)が創設されました。
今回は、速醸酛の技術を確立し、日本酒製造の改良に大きく貢献した江田鎌治郎の生涯を振り返りました。彼の尽力のおかげで、日本酒の価格はより安く、上質なものが私たちの口に入るようになりました。日本酒の製法確立のために奔走した彼の生涯を思うと、日本酒の味わいもまた違うものを感じられるかもしれませんね。


