【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー ルービックキューブを発明した ルビク・エルネー(ブダペスト応用美術大学の教授をしながら3×3×3のキューブを発明して特許を取り、「ルービック・キューブ」という名前で発売すると大ヒット商品になったハンガリーの大学教授)
2025.08.22

AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。ルービックキューブは、立体的なパズルとして馴染み深いおもちゃです。遊んだことがある人も多いのではないでしょうか。異なる6つの色で構成された3×3の9マスの面をすべて同じ色に揃えるというゲーム性は、その難易度と面白さから高い人気を集めています。現在では、ルービックキューブの色を揃えるまでのタイムを競う大会も開催されており、競技としても世界的に有名なアイテムとなっています。ルービックキューブを発明したのが、ハンガリーの発明家ルビク・エルネーです。今回はそんなルビク・エルネーの生涯を振り返っていきましょう。
ルビク・エルネーの前半生(ブダペスト応用美術大学の教授をしながら3×3×3のキューブを発明して特許を取る)
ルビク・エルネーは1944年、ルビクは戦時下にあるハンガリーのブダペストで生まれました。航空エンジニアだった父は技術班として従軍し、詩人の母はエルネーの妹を身籠った体でエルネーを連れて避難しました。エルネーは幼い頃、読書が好きな子どもでした。
1967年、エルネーはブダペスト工科大学を卒業して、建築学の学位を獲得しました。その後は大学院に進み、彫刻と屋内建築を研究しました。1971年から75年にかけて建築家として働き、その後、学究生活に戻ってブダペスト応用美術大学の教授となりました。
1974年、エルネーは3次元幾何学を説明するための「動くモデル」を探していました。ドナウ川を眺めていた時に、彼にあるインスピレーションが舞い降りました。それは、3×3×3のキューブを作ることでした。木材を正方形に切り、それぞれの面に9個のマスを作って、各面を違う色に塗り分けました。それを自分で動かしていると、もとに戻せなくなってしまいました。のちに彼は「結果的に、出発点に戻るのに丸1か月かかった」と語っています。1975年、このキューブに「マジック・キューブ」という名前をつけ、「三次元論理ゲーム」としてハンガリーの特許庁に出願し、無事特許を取得しました。
ルビク・エルネーの後半生(ハンガリーの玩具製造会社「ポリテクニカ」が「ルービック・キューブ」という名前で発売すると大ヒット商品になる)
3年後、ハンガリーの玩具製造会社「ポリテクニカ」はマジック・キューブの販売権を買い取り、発明者であるエルネーへの敬意として「ルービック・キューブ」という名前で1980年に世界的に発売しました。ルービック・キューブはたちまち人気の玩具となり、現在までに累計約3億5000万個の販売数を誇っています。ルービックキューブの人気は日本にも及びました。数学者からの注目を集める「究極の立体パズル」としての紹介と同時に発売が開始されると、日本でも大ブームが巻き起こりました。
しかしルービックキューブの人気は一過性のもので、数年が立つと急激に人気は低下していきました。1982年に最初の世界大会が開かれたものの、第2回大会が開かれるまでには長い年月がかかりました。
2000年代に入り、インターネットが普及するとルービックキューブ愛好家たちのつながりが増え、さらに解法の研究が進んだことで再流行し始めました。2003年、実に21年ぶりの第2回国際大会カナダが開かれると、各国でも大会が開催されるようになっていきました。
1980年代初頭、エルネーはゲームとパズルに関する専門誌の編集者となりました。さらに1983年には家具とゲームの設計を行う会社「ルービック・スタジオ」を設立しました。1987年には教授として終身在職権を獲得し、1990年にはハンガリー工学アカデミーの総長の座に就きました。総長としては、国際ルービック財団を設立し、特に才能のある若手のエンジニアや工業デザイナーを支援に乗り出しています。
現在、エルネーは主にビデオゲームの開発と建築学の課題に取り組みつつ、ルービック・スタジオの経営やルービック360など、新しいパズルの作成も行っています。
今回は、ルービックキューブの発明家ルビク・エルネーの生涯を振り返りました。誰もが一度は手にしたこともあるルービックキューブの起源は、数学的問題のモデルを作ろうとしていたことでした。ルービックキューブは数学者たちに注目されるほど奥深い玩具であり、子どもの知育にも活用されています。楽しみながら頭脳を活性化できるルービックキューブの面白さは、いつの時代も変わらないものですね。



