【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー クルタ計算機を発明した クルト・ヘルツシュタルク(ナチス・ドイツに迫害されたが不屈の精神で研究開発を続けた強靭な精神の発明家)
2025.03.21

AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。機械式計算機は、17世紀に初めて製作されました。歯車や円板などを利用して機械的に計算を行えるようになり、数字を扱う仕事がより効率的に行えるようになったのです。19世紀には機械式計算機が量産され、一般人にも馴染み深い道具となりました。これまで数多く生み出されてきた計算機のうちのひとつに、「クルタ計算機」というものがあります。これは手のひらに収まる大きさで、手動の計算機です。歯車を使って計算ができる機械で、その手軽さから電卓が登場するまで計算機の中でもっとも持ち運びやすい道具として人気を集めました。クルタ計算機を発明したのが、オーストリアの技術者クルト・ヘルツシュタルクです。彼はユダヤ人で、ナチス・ドイツによる迫害を受けながらも高い技術力によって収容所での生活を生き抜いた人物でもあります。今回はそんなクルト・ヘルツシュタルクの生涯を振り返っていきましょう。
クルト・ヘルツシュタルクの前半生(父親の工場で働きながらクルタ計算機を発明する)
クルト・ヘルツシュタルクは、1902年ウィーンで生まれました。父ザムエルはハンガリー帝国最初の計算機製造業者であり、工場を経営していました。ヘルツシュタルクも幼い頃から父の工場を度々訪れ、展示会では計算機の操作をしていました。身近に計算機がある生活は、ヘルツシュタルクが技術者を目指すのに最適な環境でした。
中学校を卒業すると、ヘルツシュタルクは父の工場で働き始めます。ここで計算機の開発技術を学び、家業を手伝いながら高等学校に通いました。高校を卒業しても父の会社に在籍し続けたヘルツシュタルクは、やがて技術部長の役職に就くことになります。1938年、ヘルツシュタルクはクルタ計算機の構想を完成させていました。
17世紀から始まった機械式計算機の製作は段階的に技術力を上げていき、ヘルツシュタルクの時代には大量生産が可能になり広く普及するようになっていきました。クルタ計算機は超小型の計算機で、数字が刻印された歯車を回転させることで計算することができます。電卓が開発されるまでの間、クルタ計算機は携帯性に優れた計算機として多くの評判を獲得しました。
しかしこの年、ナチス・ドイツはオーストリアと併合し、あらゆる面で弾圧による政治を行い、オーストリアのさまざまな産業を規制しました。ヘルツシュタルクの計算機工場もナチス・ドイツの支配を受け、計算機の製造を禁じられてしまいます。ヘルツシュタルクのもとにはドイツ陸軍が訪れ、陸軍のための測定機器の製造を命じられていました。
クルト・ヘルツシュタルクの後半生(ナチス・ドイツに迫害されたが戦後クルタ計算機の製造を再開する)
1943年、ヘルツシュタルクはナチス・ドイツに逮捕され、ブーヘンヴァルト強制収容所に収監されることになります。逮捕の理由はユダヤ系の血を継いでいたことで、罪状は「ユダヤ人と破壊分子の支援」「アーリア人種の女性との淫らな関係」などとされました。ユダヤ人が強制的に収容所に送られた場合、その後に待ち受けているのは想像を絶する苦痛です。しかしヘルツシュタルクには精密加工技術と製造に関する専門知識があったため、収容所内で特例的な扱いを受けました。ナチス・ドイツはヘルツシュタルクを「技術の奴隷」と呼び、軍事力強化のために彼のスキルを活用しました。
収容所での生活は厳しく、ヘルツシュタルクは著しく体調を崩してしまいます。しかし体調不良は精神的な問題によるものがほとんどで、工場で労働をしている間には体調が回復しました。工場では、クルタ計算機の設計図を作製するように命じられていました。第二次世界大戦に勝利したとき、ヒトラーにクルタ計算機を贈呈する予定だったのです。この重要な使命を担っていたことで、ヘルツシュタルクは他のユダヤ人のような激しい迫害を受けずに済みました。1945年、ドイツを含めた枢軸国は連合国に対して降伏を表明し、第二次世界大戦は終戦の日を迎えました。戦争が終わるとナチス・ドイツは解体され、収容所に入れられていた人たちも解放されました。ヘルツシュタルクは厳しい収容所生活を耐え抜き、生きて外の世界に出ました。彼の頭の中にはクルタ計算機の設計が記憶されており、ようやく念願のクルタ計算機の製造に取り掛かることができたのです。
1988年、ヘルツシュタルクはリヒテンシュタインのネンデルンでその生涯を終えました。
今回は、クルタ計算機を発明したクルト・ヘルツシュタルクの生涯を振り返りました。ユダヤ人であることを理由に理不尽に収容所に入れられ、苦しい生活を送りながらも、世の中のためになる道具を発明したことは素晴らしい功績です。彼の努力のおかげで、電卓が生み出される道が断たれることはなかったといってもよいでしょう。とはいえ、彼が命を落とさなかったのは幸運だったことにすぎません。人種を理由に差別的な扱いをすることは、決してあってはならないことです。いつか人種差別がなくなり、誰とでも仲良くできる世の中が訪れることを願いましょう。


