【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー ネイチャープリントを発明した アロイス・アウアー(植物を印刷するというアイデアを実現した、オーストリアの国営印刷所の所長)
2024.11.25
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。植物や花を活用した手芸の種類のひとつに、「ネイチャープリント」というものがあります。ネイチャープリントは、葉や花の鮮やかな色合いを台紙に写しとることができる「うつし染め」や、布に葉の形そのままに染め、葉脈を模様のようにうつす「彩染め」。そして、金属を押し花の型にはめる「アルケミックアート」など、実に多様な種類があり、クラフトの世界では奥深い手法です。これらのネイチャープリントを編み出し、植物を印刷するというアイデアを実現したのがオーストリアの印刷技術者アロイス・アウアーです。彼はオーストリアの国営印刷所の所長を務め、印刷の世界ではよく知られています。今回はそんなアロイス・アウアーの生涯を振り返っていきましょう。
アロイス・アウアーの前半生(印刷工場で植字工として活躍する)
アロイス・アウアーは、1813年オーストリア・オーバーエスターライヒ州のヴェルスで生まれました。オーバーエスターライヒ州は、オーストリア共和国を構成する9つの連邦州のひとつです。人口約140万人の小さな町で、アウアーは育っていきました。植字工(原稿から活字を読み取り、組版する仕事)として働き、印刷業界に身を置きました。
アウアーが誕生する少し前、ドイツのフリードリヒ・ケーニヒが蒸気式の印刷機を開発し、印刷能力は大幅に向上しました。印刷技術が生まれた大きなメリットは、本が大量に出版できるようになったことです。これによって、それまでは高価だった本がやすく売られるようになり、庶民も手に取ることができるようになったのです。一般市民が本を手に取る機会を得たことで、社会全体として豊富な知識の獲得・共有が可能となり、数多くの変革がなされていきました。
そのような社会情勢もあり、当時の印刷業界は勢いに乗っていました。産業革命で生まれた蒸気をエネルギーに変換する仕組みが印刷業界にもあらわれ、より素早く、大量に本を印刷できるようになっていきました。印刷が生まれてから長い間、活版印刷の品質を保つためには豊富な経験を持った植字工が必要というのが常識でした。そうした状況も、時代の流れとともに変わっていき、アウアーの時代には属人性を排除した新たな仕組みができていたのです。
そんなアウアーは、勤勉な性格でした。植字工として勤めながら、余暇にはフランス語、イタリア語、英語を学ぶなど、語学に堪能でした。1837年、リンツの高校でイタリア語の講師に就任。翌年、アウアーはドイツやフランス、イギリス、スイスなどヨーロッパ各国を巡る旅に出ました。現地の人と会話をすることで、各国の言葉を習熟していきました。また旅をしながら、アウアーは活版印刷技術を学びます。1841年、王室印刷局の局長に任じられ、1868年まで仕事を続けました。アウアーの管理下において、帝国印刷局はヨーロッパで最大の印刷所となりました。
アロイス・アウアーの後半生(植物を印刷するネイチャープリントを発明する)
彼の生涯において最大の功績ともいえるのが、ネイチャープリントの発明です。1853年、鉛や軟質材質に実際の植物などの型をとって印刷するという手法を実現し、業界を驚かせました。植物を印刷するという発想はそれまでにない斬新なもので、すぐに世の中に広がっていきました。植物の葉や花の持つ美しい色合いを表現でき、見る人の心を楽しませるネイチャープリントの歴史はここから始まったのです。
ネイチャープリントの技術は、植物学や博物学の本を出版するのに用いられました。植物の形をそのまま紙に写し取るため、実物に限りなく近い標本を観察できるためです。アウアー自身も、博物学や物理学、言語学などの学問に興味を示しました。博識な彼は、自著を含めて多くの書籍を出版しました。なお、アウアーは写真を掲載する書籍を出版した最初の人物でもあります。なお、息子のカール・アウアー・フォン・ヴェルスバッハは希土類元素のプラセオジム、ネオジムを発見した化学者、発明家です。
1869年、アウアーはこの世を去りました。彼の発明は、今でも工芸の世界に息づいています。
今回は、ネイチャープリントを発明したアロイス・アウアーの生涯を振り返りました。植物を印刷したり、金属の型を作ったりすることで、印刷の世界に新たな風を吹き込みました。ネイチャープリントは、現在も図鑑の出版やハンドクラフトなどで活用されています。手芸方法のひとつをとっても、その歴史を作った人物がいるのはなんだか感慨深い気持ちになりますよね。