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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 水中翼船を発明した エンリコ・フォルラニーニ(ミラノのエンリコ・フォルラニーニ空港に名を冠している発明家)

じっくりヒストリー IP HACK

2024.11.08

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。水中翼船は、水中で受ける抵抗を揚力に変えるために発明されました。喫水線以下の部分が水中に沈みこむ排水型の場合、浮力は得られるものの水による抵抗を受けるため、速度を出すのが難しいという問題がありました。物資や人員の輸送をより効率よく行うため、水上の移動速度を上げようとする試みとして、船腹の下に水をかく装置(水中翼)を取り付けるというアイデアが生まれました。水中翼船の研究を行い、68km/hもの速度を出すことに成功したのがイタリアの発明家エンリコ・フォルラニーニです。彼の発明した水中翼船は速度もさることながら乗り心地や操縦性にも優れ、世界中で評判となりました。彼はイギリスやアメリカで多くの特許を取得し、ミラノのエンリコ・フォルラニーニ空港に名を冠しています。今回はそんなエンリコ・フォルラニーニの生涯を振り返っていきましょう。

エンリコ・フォルラニーニの前半生(ヘリコプター、船舶、飛行船などを次々に発明)

エンリコ・フォルラニーニは、1848年ミラノで生まれました。父と兄は評判のよい医師として知られていました。ミラノ王立専門学校で学んだあと、1863年にトリノの士官学校に入学し、1866年に卒業。2年後、砲兵・工学の専門学校に入学し、1870年に卒業しました。

工学系の技術を身につけたフォルラニーニは、ヘリコプターや船舶などの開発に取り掛かります。1877年、蒸気エンジンで動くヘリコプターを開発して、実際に浮上を成功させました。このヘリコプターは、13mの高さで20秒ほど滞空することに成功しました。

1901年から飛行船の設計製作を始めます。試行錯誤を繰り返し、8年の年月を経て飛行に成功しました。最初の飛行船にはレオナルド・ダ・ヴィンチ号と、2号機にはミラノ市号と名前をつけました。ミラノ市号は飛行の安定性や操縦のしやすさから高い評判を獲得し、世界中に知られることになります。その後も、晩年まで飛行船の発明を続けました。

エンリコ・フォルラニーニの後半生(水中翼船を発明して多くの特許を取る)

1898年からは、水中翼船の開発を始めます。19世紀の半ばから、船底に水中翼を取り付けて水の抵抗を減らすというアイデア自体は生まれていました。しかしそれを実現する方法を見出せずにいたのです。実用化に至ったのは、20世紀に入ってから。世紀が変わる直前、フォリラニーニは水中翼を取り付けた船の開発に目をつけました。

初めは、60馬力のエンジンで反転プロペラを駆動させて進む水中翼船を製作します。1906年、フォルラニーニはマッジョーレ湖にて走行試験を行い、68km/hという速度が出せることを世の中に知らしめました。1908年から25馬力のエンジンの水中翼船も試験するものの、こちらの結果は芳しくなく、速度は50km/hほどにしか達しませんでした。その後も水上機をいくつも開発し、イギリスやアメリカでの特許を数多く取得しました。

現在、ミラノにあるエンリコ・フォルラニーニ空港は、彼の偉大な功績を讃えて名付けられたものです。

フォルラニーニは、飛行船と水上機の発明を死ぬまで続けました。ミラノ市号を発明した後、4機の飛行船を設計します。7機目の飛行船を設計中に、フォルラニーニはその生涯に幕を下ろしました。

今回は、飛行船や水上機の発明を数多く行い、水中翼船の開発で知られるエンリコ・フォルラニーニの生涯を振り返りました。19世紀の末ごろに活躍し、水上の移動をより素早く行うための船の開発が求められた時代において、後世に残る発明をした功績はまさに偉業です。現存する空港に名前を残していることも、彼の偉大さを示していると言えるでしょう。船による物資の輸送効率が上がることは、物流の生命線です。フォルラニーニの発明によって豊かな暮らしがあることに感謝したいですね。

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