【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー DNAの「二重らせん構造」を明らかにした フランシス・クリック(ジェームズ・ワトソンとともにDNAの研究を行い、二重らせん構造を発見してノーベル生理学・医学賞を受賞した天才生物学者)
2024.08.02
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。DNAは二重らせん構造をとっていて、塩基が対応する形で二本のヌクレオチド鎖が結合しています。この仕組みがわかったことによって、遺伝子組み換えや人工塩基、分岐DNAなどの技術が生まれました。二重らせん構造の発見は、分子生物学を劇的に進化させるきっかけとなりました。この大きな功績を残したのは、イギリスの生物学者フランシス・クリックです。彼はアメリカ出身の生物学者ジェームズ・ワトソンとともにDNAの研究を行い、二重らせん構造を発見しました。今回はそんな、フランシス・クリックの生涯を振り返っていきましょう。
フランシス・クリックの前半生(物理学者として博士号を取得して軍事研究にも関わる)
フランシス・クリックは1916年、ノーザンプトン近郊のウェストン・ファヴェルという小さな村で生まれました。父親と叔父は靴やブーツを製造する工場を経営しており、そんな環境もあってクリックは科学に興味を抱いていました。幼少期からたくさんの本を読み、豊富な知識を持っていたクリックは、親によって教会に通わされていました。クリックは特に信仰心を持っていたわけではなかったので、教会とはそりが合いませんでした。12歳のとき、母親に「もう教会にはいきたくない」と話し、それ以来教会にいくことはありませんでした。そしてクリックは懐疑心を強く持つようになり、無神論の思想を強く抱いた不可知論者となっていきました。
クリックはノーザンプトンのグラマースクールを経て、14歳のときロンドンのミル・ヒル高校に奨学生として入学します。そこで数学・物理学・化学の勉強に励みました。21歳の時、ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジで物理学の修士号を取得。その後、物理学専攻でケンブリッジ大学キーズ校へ進学します。しかし、クリックにとってキーズ校は志望外の学校でした。クリックが博士号を取得するために選んだ研究テーマは「高温の水の粘度の測定に関する研究」というものでしたが、本人はのちにこの研究について「想像しうる最も退屈な研究だった」と語っています。
大学卒業までは物理学者としてのキャリアを歩んでいくつもりのクリックでしたが、第二次世界大戦が始まったことで運命は大きく動きます。戦時中はイギリス海軍の機雷研究所に所属し、磁気や音響に反応する機雷の設計に携わりました。さらに激しい衝突を繰り返していたドイツ軍の掃海艇に対抗するための設備を備えた新型機雷の設計にも関わりました。
フランシス・クリックの後半生(生物物理学に転向し、ジェームズ・ワトソンとともにDNAの二重らせん構造を解明する)
第二次世界大戦、および太平洋戦争は、連合国側の勝利で幕を閉じました。抗争の爪痕が未だ色濃く残る1947年、クリックは物理学から転向して生物学を学び始めます。これは、ジョン・ランドールをはじめとする物理学者たちが生物学に転向し、成功を収めている姿を目にしていたからです。クリックはそれまで積み上げてきた物理学の知識を駆使し、生物学の世界で名をあげていきました。
生物学へ転向してからわずか6年、クリックは世界的に注目される論文を発表します。DNAのらせん構造について記したこの論文は、科学雑誌Natureに掲載され、生物学者たちの注目の的となりました。それまで、DNAの遺伝については説として提唱されていたものの、具体的な現象であることは証明されていませんでした。DNAの構造が明らかになったことで、どのように情報の遺伝が行われているのかが明らかとなったのです。
発見のきっかけとなったのは、モーリス・ウィルキンスらが撮影したX線回折の写真です。これを参考に、4つの塩基とデオキシリボース、リン酸基の模型を使ってDNAの構造を発見しました。アメリカ人の生物学者ジェームズ・ワトソンと共同で行ったこの研究は論文『デオキシリボ核酸の分子構造』で公表されました。遺伝の仕組みがわかったことで、分子生物学が格段に成長したとされ、1962年にクリックとワトソンの2人はノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
しかしこの功績の裏側には不正の疑惑があります。DNAの構造を解析した写真を撮影したのは、ウィルキンスの共同研究者であるロザリンド・フランクリンだったのです。彼女はDNAの二重らせん構造を予測し、レポートにまとめていました。彼女のレポートはクリックの指導教官であるマックス・ペルーツが入手し、さらにワトソンもウィルキンス本人から論文の内容を聞かされていたのです。
その後はアメリカのソーク研究所で、非常勤フェローとして研究生活を送ります。1990年頃からクリストフ・コッホとの共同研究をはじめ、なぜ脳から意識が生じるか、という意識の問題に取り組み始めました。クリックは、意識を脳内の生理学的な過程に置き換える還元主義の立場から研究を進め、1994年に『驚くべき仮説』を発表して、科学的方法に基づきながら脳を単純な神経細胞が複雑な組合せとして研究することを論じました。
2004年、7月、クリックは大腸ガンのためにこの世を去りました。
今回は、DNAの二重らせん構造を発見した人物の1人であるフランシス・クリックの生涯を振り返りました。生物学に大きな貢献をもたらした成果は素晴らしいものですが、その経路は不正が疑われています。もしも生物学者どうしの確執がなかったら、歴史に名を残した人物は違っていたかもしれません。誰もが知るエピソードの裏側には、意外な歴史が隠されていることもあります。一般的に知られていることでも、たまに調べてみると新しい発見に出会えるかもしれませんよ。