【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー X線照射による突然変異を用いた品種改良法の発明者 ハーマン・J・マラー(X線照射で人為的に突然変異を起こせることを見つけ出して、ノーベル生理学・医学賞を受賞した遺伝学者)
2024.07.12
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。品種改良は、生物や植物の遺伝的な形質がさまざまな刺激によって変化する突然変異を活用して行われます。人間によって有利に働く品種改良を重ねることで、栽培や養殖のしやすさ、安全性を高める効果があり、大きく注目されています。突然変異はかつて自然環境によって引き起こされるものでしたが、人工的な刺激でも突然変異を起こせることがわかりました。最初にこの発見をしたのは、アメリカの遺伝学者ハーマン・J・マラーです。彼はキイロショウジョウバエに対するX線照射の実験を行い、人為的に突然変異を起こせることを見つけ出しました。この業績が称えられ、1946年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。また、精子バンクの提唱者としても知られています。今回はそんなハーマン・J・マラーの生涯を振り返っていきましょう。
ハーマン・J・マラーの前半生(キイロショウジョウバエにX線を照射し、突然変異が発生することを証明する)
ハーマン・J・マラーは、1890年ニューヨークで生まれました。彼の幼少期について記した文献は少なく、その軌跡を辿ることはできませんが、聡明な子どもだったことは容易に想像がつきます。
マラーは青年期、コロンビア大学に通って学位を取得します。トーマス・ハント・モーガンの研究室に入り、ショウジョウバエを用いた遺伝学研究に携わりました。1920年からはテキサス大学オースティン校の教職員に勤め、学生たちに遺伝学を教えていました。
1927年、マラーはその生涯においてもっとも大きな功績を残します。それは、キイロショウジョウバエを使った遺伝に関する実験でした。X線を照射し、放射被曝による影響は遺伝されること、そして放射線を浴びせることによって突然変異を人間の手で発生させられることを世界で初めて証明したのです。
それまで放射線の影響は解明が進んでおらず、多くの謎に包まれていました。レントゲンによって骨格の写真を投影する医療技術は1895年からありましたが、安全性の確保は十分になされていなかったのです。マラーの実験はそうした状況の中で、放射線を使う時に遺伝的な影響を考慮する大きなきっかけとなりました。この実験はのちに遺伝研究を進める一助となり、1946年に1946年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
ハーマン・J・マラーの後半生(共産主義の影響を受けてソ連に移住するが、共産党に処刑されそうになりアメリカに逃げ帰る)
1929年、世界恐慌が各国を襲い、経済の暗黒期を迎えます。株価の大暴落を間近で体験し、拠り所を失った数多くの資本家の姿を目にしたマラーは社会主義を支持し始めました。彼の実験室には、ソ連から多くの人間が訪問していました。そして左翼的な学生新聞の編集・配布を手伝ったことで、FBIはマラーを共産主義者として調査していたのです。
マラーは1932年、ベルリンを訪れました。そこではニールス・ボーアやマックス・デルブリュックなど、物理学の権威として知られる学者と話しました。しかし当時のドイツはナチス政権下にあり、アドルフ・ヒトラーによる激烈な独裁体制が敷かれていました。マラーは早々にドイツを離れることを決めましたが、彼は共産主義に惹かれていたため、アメリカには戻らずソ連のレニングラードに移住しました。レニングラードではニコライ・ヴァヴィロフからの歓迎を受け、幅広い権限が与えられたマラーはソビエト連邦科学アカデミーなどで遺伝学の研究を指導するポジションにつきました。
そんな権威ある立場にあったにもかかわらず、マラーは命を狙われることになってしまいます。背景となったのは、ソ連の最高指導者ヨシフ・スターリンが実施した大粛清の政策でした。マラーは資本主義や帝国主義を掲げ、ファシズムを促進しているとして批判されてしまったのです。身の危険を感じたマラーはソ連を離れ、スペインを経由してアメリカに帰国。しかし、マラーを雇っていたヴァヴィロフは共産党員のトロフィム・ルイセンコによって謀られ、処刑の憂き目に遭ってしまいます。マラーは帰国後、アマースト大学で教職に就き、マンハッタン計画の顧問となりますが、終戦の1945年にその任を解かれました。
1946年、ノーベル賞の受賞にとどまらず、精子バンクの設立を提唱したことでも知られています。精子バンクは独身女性やレズビアンカップルが子どもを作ることによく利用されていますが、生命倫理的な問題も指摘されています。
1955年、マラーは核兵器廃絶を訴えるラッセル=アインシュタイン宣言に署名しました。それから約10年後、マラーは77歳でこの世を去りました。
今回は、人為突然変異の発見でノーベル賞を受賞したハーマン・J・マラーの生涯を振り返りました。彼が証明した突然変異の可能性は、現代において品種改良という形で有効活用されています。遺伝学の発展は、人類が大きく成長するきっかけとなったといえるでしょう。今後も研究が進めば、もっと大きな発見があるのかもしれません。将来の遺伝研究がどうなっていくのか、非常に楽しみですね。