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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー モスリン友禅の発明家 岡島千代造(縞モスリン製法のオープンソース化によって、大阪が繊維産業の中心になるきっかけを作った偉大な実業家)

じっくりヒストリー IP HACK

2025.11.25

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。明治時代、日本には大量の西洋文化が流れ込み、外国から来たさまざまな品物が流入していました。そのうちの1つ、「モスリン」は羊毛や木綿を素材に使用した薄地の織物のことを指します。モスリンが流行する少し前、日本には「メリンス」と呼ばれる素材がオランダから伝わっていました。モスリンとメリンスは語感も見た目も似ていたことから、混同されることも多くありました。1920年代ごろから、毛織物で作られた「本モスリン」、錦織物を「錦モスリン」、絹織物を「絹モスリン」と区別して呼ぶようになりました。モスリンの普及、および繊維産業の発展に寄与したのが、岡島千代造です。彼はモスリン生地に友禅染めを施す方法を発見し、それを一般公開することでモスリン友禅の発展に大きく貢献しました。今回はそんな岡島千代造の生涯を振り返っていきましょう。

岡島千代造の前半生(大阪でモスリンの販売を始める)

岡島千代造は、1853年大和国(現在の奈良)で生まれました。大阪に移住した岡島は、モスリンの販売を生業にしていました。

モスリンは、明治時代に日本に伝わった織物です。元はフランスで生まれた布製品で、欧米や日本などでいつしか親しまれるようになりました。日本が鎖国をしていた江戸時代、オランダと通商関係を結んでおり、オランダ特有の文化が数多く日本に運び込まれました。オランダから伝来した布地や服飾品の多くは「ゴロフクレン」「とうちりめん」などと呼ばれており、流行の服として知られていました。やがて開国の動きが進み、明治時代に入ると、よりさらなる洋装文化が日本にやってきました。

開国した日本は積極的に諸外国と貿易を行い、さまざまな物品を輸出入しました。国内に入ってくる製品は、どれも国民からすると斬新なものばかりで、その目新しさから流行が生まれました。モスリンもこの時期に日本に持ち込まれ、ふんわりとした見た目の高貴さや肌触りの柔らかさなどから、市井で根強い人気を獲得しました。同時期に日本で流行した「メリンス(メリノ種の羊毛等で織った柔らかい薄手の毛織物)」とモスリンが混同されて呼ばれるようになりますが、後に錦や絹などを使用したさまざまなモスリンが登場し、それぞれ区別されて呼ばれるようになります。

岡島千代造の後半生(モスリンに友禅染めを行う方法を発明して特許を取るが、公益のために無償で公開する)

モスリンは当初、高級服の素材として注目されていましたが、貿易の活発化によって大量のモスリンが市場に流入するようになり、多くの人々からの人気を集めました。京都の織物業者は高騰するモスリン人気に注目し、日本の伝統的な染め物である「友禅染め」をモスリンに施そうと試みました。初めて手に取るモスリンは日本にある着物や帯の素材と特色が大きく異なり、いかに友禅染めを実施するかを手探りしていかなくてはなりませんでした。

岡島も他の業者と同様、モスリンに友禅染めをどうやって行うかを考え、1881年に写染法緋糊という方法を発明しました。これは緋色染料を応用した染め糊で、モスリンを鮮やかに染めるのに最適な方法でした。さらに1908年、岡島は縞モスリン染織法を発明し、特許を取得しました。特許料などは徴収せず、自分以外の人も同じように縞モスリンを作れるようにするためその技術を一般に公開しました。これによって同業者の多くが縞モスリンの製法を知ることができ、モスリンの大流行に貢献しました。

モスリンの染色技術が広がったことで、輸入に頼っていたモスリン生地を国内で生産できるようになり、大正時代には他国に輸出できるほどの品質に達しました。岡島の工場をはじめ、大阪はモスリンの一大産地として有名になり、モスリンは重要な物産品のひとつとなりました。

岡島は毛斯綸友禅染業組合総取締役、大阪商業会議所議員、帝国発明協会監事などの公職に就き、モスリンの発展と普及に務めました。縞モスリン製法のオープンソース化は大阪が製糸工業で全国から注目されるきっかけとなり、その功績は大きく讃えられました。緑綬褒章及び飾版の授受、正七位への叙勲など、国からも褒賞されました。

今回は縞モスリンの発展と普及に貢献した岡島千代造の生涯を振り返りました。明治時代は外洋文化が盛んに取り入れられた時代であり、日本の近代化に重要な影響をもたらしました。服飾品などの歴史をたどると、モスリンをはじめ多くの品物が明治時代に日本に伝来したことがわかります。海を越えて他国の文化が流行したことは、国同士の交流が象徴されているようで素敵ですね。

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