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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 人工真珠の発明家 大井徳次郎(国内最初の人工真珠として知られる「いずみパール」を生み出した、創意工夫に富んだ貿易商)

じっくりヒストリー IP HACK

2025.11.14

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。真珠は貝の中で形成される不思議な物質で、宝石やアクセサリーとして重用されています。大きさや形、色や光沢などから真珠の希少価値が判定され、産地でブランドがつくこともあります。日本ではアコヤ真珠が有名であり、高貴な地位を示すために天皇の衣装に使用されていました。17世紀、フランスでは人工的な真珠である「イミテーションパール」が登場し、本物の真珠には手が届かない一般市民でも模造品の真珠をアクセサリーとして楽しめるようになりました。イミテーションパーツを製造する技術は日本に持ち込まれ、国内最初の人工真珠として知られる「いずみパール」が生まれたのです。いずみパールの生産に大きく関与したのが、貿易商を営んでいた大井徳次郎です。彼はコットンパールやガラスパールなどの模造真珠の製造技術を確立し、普及に務めました。今回はそんな大井徳次郎の生涯を振り返っていきましょう。

大井徳次郎の前半生(大阪府工業顧問の平賀義美と協力して太刀魚の鱗をガラス玉に塗布して人工真珠を発明する)

大井徳次郎は、1872年に大阪で生まれました。生家はガラス細工工芸を営んでおり、徳次郎も家業に従事していました。1901年には職人として独立し、ガラス光珠やアクセサリーの製造を始めました。そんな中、徳次郎は「人工真珠」の可能性に出会います。

古来より、真珠は希少価値の高い素材として各地で使用されていました。古代ローマでは貴族階級の人間にのみ服飾品として装着することを許され、日本でも皇族の衣装に使用されるなど、非常に高価なものでした。明治時代は諸外国の文化が大量に日本に持ち込まれた時期であり、真珠もその1つです。

ある日、徳次郎はフランスで製造された人工真珠である「イミテーションパール」を手にしました。イミテーションパールの見事な造形を見て、製造方法の研究を始めました。当時、大阪府工業顧問であり、同時に府立商品陳列所長を務めた平賀義美に、徳次郎はイミテーションパールの製造方法の研究を依頼しました。平賀の研究の甲斐あって、太刀魚の鱗をもとにして作る「魚鱗箔」をガラス玉に塗布する方法が見出されました。

大井徳次郎の後半生(人工真珠を「いずみパール」と名付けて大ヒット商品となり、戦後の「コットンパール」につながる)

完成したイミテーションパールは「いずみパール」と名付けられ、本格的な生産が始まりました。徳次郎の活動はガラス職人の話題となり、余ったガラス玉をイミテーションパールとして活用する副業が盛んになりました。初めは副業という扱いでしたがイミテーションパールの市場人気はすさまじく、職人たちはやがて専業化していきました。このおかけで泉州地区はガラス玉の産地として形成されるようになり、ここで生産された真珠には産地ブランドがつくようになったのです。現在の和泉市周辺で作られるアクセサリーパールは国内の8割を占めています。

大正時代に入ると、イミテーションパールの形や素材は多様化していきました。ガラス玉を原料とする「ガラスパール」、プラスチックを素材に使いより安く販売できるようにした「プラパール(樹脂パール)」、養殖真珠と同様に天然貝核を原珠として使用した「貝パール(シェルパール)」など、数多くの人工真珠が生まれました。

第二次世界大戦を迎えるとイミテーションパールの流通は制限され、人気も下火になりました。戦後、日本を統治下に置いたGHQは国内での真珠の一般売を禁止し、指定会社には軍に生産した真珠を納めるように指示しました。1948年に少しづつ一般販売が解禁され、養殖真珠やイミテーションパールは再び熱狂的な人気を博しました。

戦後、国内では綿を入れることで軽量化に成功した「コットンパール」が登場し、現在では定番のイミテーションパールとして定着しました。

1929年、明治天皇の大阪行幸で、徳次郎は拝謁の機会を賜りました。彼が人工真珠を生産・普及し、日本の産業に大きく寄与したところは明治天皇も拝承しており、徳次郎は帝国発明協会から優等賞を授受しました。

イミテーションパールは時代によって人気の種類が変わっていき、高度成長期にはコットンパールが、その後はプラスチックパールが主流となりました。2010年ごろになるとコットンパールの人気が再燃し、流行に応じてその姿を変えています。

徳次郎はイミテーションパールの生産に関して、「硝子腕輪製造装置」という特許を取得しました。

今回は、「いずみパール」を発明した大井徳次郎の生涯を振り返りました。人工真珠の可能性を見出し、実用化した彼のアイデアと普及に奔走した生涯は非常に濃厚なものでした。古来より神秘的なものとされていた真珠は庶民の手には届かない代物でしたが、レプリカを生産し、ファッションに転換したことは讃えられるべき所業です。発明の歴史を知れば、イミテーションパールの美しさがより鮮明に感じられることでしょう。

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