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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 電気自動車の発明者 カミーユ・ジェナッツィ(弾丸の形を取り入れた電気自動車で初めて時速100㎞の壁を突破して世界一になるが、数年後に蒸気機関自動車に敗れたレーシングドライバー)

じっくりヒストリー IP HACK

2025.09.05

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。電気自動車は、1827年に登場しました。ガソリン車よりも速く走れたため、自動車業界では蒸気機関や内燃機関とともに動力源の主流を争っていました。自動車のレースでも電気自動車は使用され、3回にわたって速度記録(絶対記録)を更新しました。この電気自動車を設計し、自らがドライバーとしてレースに出場したのがベルギーのカミーユ・ジェナッツィです。彼は自動車のグランプリレースの前身であるゴードン・ベネット・カップで優勝したことでも知られています。今回はそんなカミーユ・ジェナッツィの生涯を振り返っていきましょう。

カミーユ・ジェナッツィの前半生(電気自動車に乗ってガストン・ド・シャセルー=ロバと速度競争に明け暮れて世界一になる)

カミーユ・ジェナッツィは1868年に生まれました。

1898年、史上初の自動車の速度記録会がパリで開催されました。ジェナッツィはこの大会に参加せず、シャルル・ジャントーが製作した電気自動車に乗ったガストン・ド・シャセルー=ロバが時速63.15㎞という記録を残しました。

速度記録会の話は、電気自動車を使った商売を計画していたジェナッツィの耳にも飛び込んできました。ジェナッツィはフランスの電気自動車にシェアを奪われてしまうことを危惧し、以降の記録会への参戦を決めました。そこから、ジェナッツィとシャセルー=ロバの競争が始まります。

1899年、記録会に参加したジェナッツィは電気自動車のCGAドッグカートに乗って時速66.66kmを記録します。速度記録を更新するも、同日のタイムアタックでシャセルー=ロバの自動車にすぐに記録を塗り替えられてしまいました。

ジェナッツィは再び記録を塗り替えるべく、ベルギーには帰らずパリで車両の強化を行いました。10日後に開催された記録会に参加し、再びCGAドッグカートで記録更新に挑みました。ここで、ジェナッツィは時速80.35kmの新記録を出し、シャセルー=ロバもこの記録を更新することができませんでした。

カミーユ・ジェナッツィの後半生(弾丸の形を取り入れた電気自動車で初めて時速100㎞の壁を突破して再び世界一になるが、数年後に蒸気機関自動車に敗れる)

ジェナッツィは勝利に満足してベルギーに帰りました。しかしその後、シャセルー=ロバが単独で挑んだタイムアタックで、ジェナッツィの記録を覆しました。この時の記録は時速92.7㎞に達しており、ジェナッツィはこれを上回るためには時速100kmに達する車両を作らなくてはならないと考えました。

そこで思いついたのが、弾丸の形を取り入れた自動車です。「決して満足しない」という意味の「ラ・ジャメ・コンタント(La Jamais Contente)」という名前をつけ、決意を新たに記録更新に挑むも、設計に不備がありこの日の記録更新とはなりませんでした。

数週間後に再挑戦し、ジェナッツィは時速105.88kmの新記録を樹立しました。自動車として、初めて時速100㎞の壁を突破したのがこの瞬間です。シャセルー=ロバもこれを素直に賞賛し、二人の対決は幕を閉じました。

3年後、自動車に載せるエンジンは蒸気機関が主流となりました。電気よりも大きなエネルギーを生み出す蒸気機関は自動車の速度も爆発的に向上させ、ジェナッツィの記録は破られました。そしてこの更新を最後に、電気自動車が蒸気機関で動く自動車よりも速い記録を更新することはありませんでした。

ジェナッツィは1899年から自動車レースにも参戦するようになり、フランスで行われた自動車のツール・ド・フランスの第1回大会に参戦しました。このレースはパリを起点に、7月16日から7月24日にかけて9日間のレースでフランス各地の7ステージで争い、パリでゴールを迎えるというものです。ジェナッツィは9位に入賞しました。

その後、ジェナッツィはメルセデスに乗るようになり、ヨーロッパ各地で開催されたレースに参戦しました。イギリスのアイルランド島で第4回ゴードン・ベネット・カップが開催されたときには、ダイムラー社の工場が火事で焼失したため60馬力のシンプレックスに乗って出場しました。他のレーサーが高い馬力を持つ車で挑む中、ジェナッツィは技術でハンディキャップを埋め、2位に大差をつけて優勝を果たしました。これは「メルセデス」ブランドを有するダイムラー社にとっても、ドイツ車にとっても、国際的な自動車レースにおける初めての優勝となりました。この結果がジェナッツィにとってのピークでした。

1913年、友人たちと狩猟に出かけた際、ジェナッツィ自身の悪ふざけにより獲物の動物と誤認され、仲間に誤射されたことで命を落としました。

今回は、電気自動車の設計者であり、レーシングドライバーとしても活躍したカミーユ・ジェナッツィの生涯を振り返りました。電気自動車はかつて蒸気機関に並ぶ動力源であり、その性能が注目されていました。現在はガソリン車がほとんどですが、電気や水素で走る自動車も開発されています。今後どのような新しい車が生み出されていくのか、非常に楽しみですね。

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